MUSICA ELETTRONICA VIVA/FRIDAY

muyubyou2008-07-19

AMMと時は同じくして発生したMEV1969年ライヴ録音作。静寂の狭間に放置されたモールス信号を解読していくかのような、奇妙で、それでいて不穏な実験抽出。と同時に後にイーノが提唱したアンビエント・ミュージックの音響空間を作り上げ、あらゆる音楽的方向性は放棄されると同時に可能性として鳴り響く。奇跡の復刻。

INTERNATIONAL HARVESTER/SOV GOTT ROSE-MARIE

muyubyou2008-05-30

今は昔プログレ界隈において「フランスのイエス」とか「南米のクリムゾン」だの「ドイツのELP」といったバンドにとってみればはた迷惑な形容が目立ったが、これまた北欧のアモン・デュールと呼ばれる存在の名作(1969)。しかしプログレ5大バンドを冠とした形容が支配していたのに対し、アモン・デュールというちょっとアンダーグランドな部類の形容がプログレの深い森の中にいる人々にとっては否が応にもアンテナに引っ掛かるというもの。サイケデリックアンダーグラウンドの如し「部族的な何か」的な稚拙さとフリー・フォームに傾倒するが故の音が螺旋状にカオスを生み出してはいるものの、小鳥のサエズリ、トラッド的な長閑さといい、若干イケメン面なのがちょいと気に食わない。

FUNKADELIC/FREE YOUR MIND...

Free Your Mind And

Free Your Mind And

総帥ジョージ・クリントンが描く煉獄とジミ・ヘンドリクスが体現したファンク・ロックが融合。なんちゃってホークス(HAWKWIND)の如くヘヴィ・サイケデリックな万華鏡を下地に闇夜の一人鍋のようなシュールさが合わさり、ここにファンカデリックニ作目にして嘗てないグルーヴを獲得するに至る。煉獄とは天国と地獄の間、即ちロックとファンクの間、ファンカデリックの差異化はファンク/ロックではない何処かの中間にぶらりと存在した。

NOCTURNAL EMISSIONS/TISSUE OF LIES

muyubyou2008-05-02

インダストリアル黎明期における革命はおおよそTGにその大半を譲るが、NEはノイズをブラフとして利用し、徹底的に操作された孤高の情報戦に挑んだ。その『心理戦における戦法』も辿れば辿るほど「無意味」「不毛」を導き、これを単に悪夢として片付けるには些か短絡的にあり、人の世における不毛さを絶対に通信不可能な孤島より1000の方法を以って届けようとするかのような回りくどいイデオロギストなのである。これはNEの歴史的1stにしてテープ・コラージュの限界に挑んだのか挑まないのかはいざ知れず、NWWの初期にも引けを取ることのない不毛性と無垢な赤ん坊が殺人を犯す絵のような悪趣味さが際立つ。

ART ZOYD/SYMPHONIE POUR LE JOUR OU BRULERONT LES CITES

muyubyou2008-04-11

都市が燃える日のための交響曲。この得も言われぬ絶体絶命的不安感。難解という袋小路に陥ることしか出来なかったプログレパラドックスに真正面から立ち向かってみせたのはRIOの兵ども。その兵どもが夢の如く初期アール・ゾイドはHENRY COWのマニフェストに賛同したかのような音像を示し、またそれらアーティスト同様に触れると迷宮に変化する広範囲のパラダイムを有している。現在は無声映画に音を与える続けるのが宿命のその道のヴェテラン風になっているが、この1976年発表の1stはフリー・ジャズのピリピリした覚醒とヘンリー・カウとアモン・デュール?とザッパが三位一体になったような奇妙なアナーキズムが支配している。パリは燃えている。

時をかける少女

時をかける少女 通常版 [DVD]

時をかける少女 通常版 [DVD]

失われた日本の原風景を想起させる町並(「坂道」の多用)と青春モニュメントたる学園風景。私たちは挙って己の青春時代と同調させるかの如く、無条件にノスタルジーをこれらに抱く。それら失われた時代に後悔や失意の念は誰しもあるが、それらに共鳴し同作や「耳をすませば」などは問答無用に90年代以降の青春原風景として成り立ってしまう。原作は今更言うまでもない筒井康隆の同小説で、筆者自身正統的続編と位置づけたように物語は原作(原作の20年後を設定)とは別人物のタイプ・リープ(過去に戻る)によって、主人公の周りの環境が刻一刻と変化していく様を描いている。自己中心的で人の思いを決め付けたような言動はこれら思春期に共通する行動、それらに対して逃避し、また向かっていく主人公の心の変化も巧みに表現されており(声優陣の素人臭さが功を奏しているいい例である)、タイム・リープによるスピード感も絶妙。中途半端なメッセージ性が無いのも良い。
ただ多くの人がそうであるように学生時代に救いのないような生活を送ってきた者にとってはかなりの苦行を強いる作品であり、ポジティヴな映画のはずが現実との乖離感によってひたすら憂鬱になるので相当の注意が必要である。

ORNETTE COLEMAN/THE SHAPE OF JAZZ TO COME

ジャズ来るべきもの(+2)

ジャズ来るべきもの(+2)

まるで垂れ流しの、構成的で阿鼻叫喚の昨今のフリージャズにもはや何の未練もないが、常にフリーなるものを探すに当たっては初心に立ち戻りオーネット・コールマンにその進歩を問うのである。オーネットかく語りき『しかめっ面が良くない』。
さてそうは言っておきながらも初期オーネット・コールマンにフリージャズの原型なるものをいつまで経っても俺は感じることが出来ず、モダン・ジャズの『個性の音楽』なる形容に、その発展をオーネットに重ね合わすのである。脱構築型にして破綻を来す前のジャズの美がまだ少なからず残っていた時代にオーネット・コールマンは新星として出現した。その美は少なからず形式的フリー(未来)を凌駕し、あくまで「楽しい」ジャズに終始。これは当時コンテンポラリー(アトランティック・レコード)に残した1959年録音作、革命児の面目躍如たる鮮烈なフリーク・トーン(メロディーの変容)に相反してビバップの喧騒、ブルーズの土臭さを一挙に纏った傑作。オーネットに対する連なる罵詈雑言、その心は『嫉妬』である。