JOHN COLTRANE/LIVE IN JAPAN

ライブ・イン・ジャパン

ライブ・イン・ジャパン

君はコスモ(小宇宙)を感じたことがあるか!?
吉永小百合はうんちをしない』(byタモリ)に端を発し、聖母マリアは処女ながらキリストを産み、好きな女の子に出会う度可憐な処女だと信じて止まない純粋無垢な青春時代、それらを更なる誇大化させたもの、俗に言うコルトレーン教(by寺島靖国)である。60年代においてジョン・コルトレーンその人はまさしく救世主の如く象徴的な存在となった。だがコルトレーン信奉者達の間ではコルトレーンマイルス・デイヴィスセロニアス・モンクの下でまるで修行僧のように練習の日々に明け暮れた事について語られることは決して多くはない。至上の愛以降、コルトレーンの名前はシンボリックなものとなっていった。そしてコルトレーンは60年代を疾走した稀有なミュージシャンとして神格化され、誤解されていくこととなる。
さて、傲慢に言うとこれからコルトレーンを聞こうという人は決して至上の愛やアセンションを聴いてはいけない。先ずはSOULTRANE,SETTIN' THE PACEを、マイルス・バンドにおけるマイルスとの対比でもよい。そして間違ってオラトゥンジ・コンサートやこのライヴ・イン・ジャパンを手にした人、トランジションやオームを手にした方、MODERN JAZZへの道のりが険しくなることを付け加えておく。
さてこれを読んでいる暇人な貴君は既にラッシュ・ライフもブルー・トレインも聴いているものとして話を進める、このLIVE IN JAPAN,晩年のトレーンの演奏においても郡を抜く過激さで有名(双璧がオラトゥンジだろう)、4枚組(257分収録)にして全6曲、これを通して聴ける者が世に何人いることだろう。この頃のコルトレーンは既に癌に侵されていたわけだが、ここにおいても長尺のフレーズを並べ立て、残りの月日に残せる音符の数を頭の中で数えているコルトレーンを想像する。その存在を音に込めているコルトレーンの姿、これは宗教的になるのも無理はない、のかもしれない。