もうどんどん書いちゃうぞ、という勢いでこのまま・・・

話を再び変える。
私達の世代が、音楽を聴くツールに対して開かれているのは、多様化という時代性にあるのは周知の事実だが、これを単純に悪と見なすのもおかしいし、幸福であると思うのもなんだか少し違うような気がする。
つまりは「情報」という一見人畜無害に見える魔物が安全な方向へ、安全な方向へと導いてくれるのである(善悪の問題でもない)。

音楽ならば、「これは名盤だ」「これは駄盤だ、買うな」という風に。ディスク・ガイド本も旅行ガイド並に充実して、とにかく正しく健全で安全な道を知らず知らずに歩まされる。企業がマーケティングし易いように。
(これに関して、元ディスクユニオンの沼田順さんが実に適確な指摘をされていた。私の戯言は氏の言う批判のパクリなので、興味のある方は沼田さんのコラムを探して見てください。)

今のように情報が無かった時代を、リアルタイムで過ごした人間が、或いは全くその時代を知らない私達までもが右に倣えとばかりに、60年代70年代は良い時代だったと言うのは、とても不自然な印象を受けると同時に、(私が言えることじゃないが)かの時代は、音楽を聴くということが「冒険」であったのだと思う。決して良い時代だとも思えない。

逆に言えば、今の時代はとてもスマートだ。
無駄を削り、利便を図る。余った時間は有効に、という風に。(このスローガンのような文句は散々聞かれるし、しかもたいそう立派なことだと錯覚するが、消費者金融とかコンビニ等が言うことにあまり変わりがないのである。)ロバート・フリップも以前なんかのインタビューで言っていた。「好きなものを聴いたらいい。人生は短いからね。」と。
この「好きなもの」は失敗無くして見つかるものでない。これは音楽だけの話じゃないはずだ。
幸運なことに、その選択の権利はまだある。輸入盤規制法がどうなったのかは知らないが。
普段あんまり外に出掛けない私だが、せめて音楽だけは冒険してみたい、と思う。


しかし、大いなる事実が私の前に立ちはだかる。


お金がないA、お金がないB、お金がないCがあらわれた!
わたしは身をまもっている。
お金がないBはパルプンテのじゅもんをとなえた!
50000円ぬすまれた!
お金がないAはにげだした
お金がないBはにげだした
お金がないCはにげだした

なんか違うけど、こんな感じ。