徒然記

なんだかこういうイジイジとした事を書いていると、気分が滅入ってくる。
嫌いな人間の特集をしたって、得るもんなんて何もない。

お題、プライド高き人と平和主義的処世術。

プライドという言葉を使うと何だか「誇り」そのものを否定しているようなので、エゴとする。自分に絶対的な自信を持つ輩は、何かとおせっかいだ。
アドバイスならまだ良い、しかし彼らは意見を押し付けずにはいられない性なのである。そして自分の思い通りにいかないと、その潜在的な幼児性をここぞとばかりに発揮し、拗ねるゴネル、機嫌を悪くする、怒る。
ここに盲点がある。
プライド高き人との接し方は、タイミングを見計らって褒める、持ち上げる。これで数時間は持つ。逆に絶えず褒めるのも良くない。実に難しい。
しかし、今度は虚栄心を更に満たそうと、「どれどれ、そこは違うと思うよ、君。」とやれやれ俺の出番かとばかりに余計なお世話ながら再びしゃしゃり出てくる。薬を与える度にインターバルが短くなるヤク中である。

頭の良い人はロジカルに反論できるのかもしれない。しかし、頭が悪いのでとりあえず平和主義を選ぶ(頭の悪い人は暴力主義と平和主義の2極化を辿る)。
いや、ここでわざわざ反論する奴は、本当のところ阿呆である。つまりは、その反論によって自分を誇示したいのか、または相手をつまらんロジックで打ち負かしたいのか、帰する所、どちらも同じ穴の狢というやつである。

相手の特徴を端的にノートなどにメモするのが良い。そしてお家に帰ってそれを分析し、こういう受け応えが必要だ、と更にメモをする。相手の知らない一面を発見したとする、よし、それもメモ。
それを、今後の人生続ける。
するとどんな人間でもモレナク人間不信になります。
そろそろストレスが溜まりすぎて、反撃がしたくなったとする。今まで書き留めたメモを対象の机の上にでもこっそり置くのが良い。自分の名前を書くことを忘れないように。




こういう人が実は自分の周りにいたりするのかもしれません。恐ろしいね、コミュニケーションの裏表。

というくだらないオチでごめんなさい。