ROGER WATERS/AMUSED TO DEATH

Amused to Death

Amused to Death

ロック界のコンセプト・アルバムの歴史を辿るならばその端はサージェント・ペッパーを中心に据えながらもキンクスやらプリティ・シングスムーディーズ辺りが論争の的になるのは世の常であるが(?)、更なる上層キング・オブ・コンセプトの世界で言うならば徹頭徹尾ガチガチのロジャー・ウォーターズを置いて他にない。プログレのモンスター・アルバム『狂気』のその社会性と音響的(フロイドは寧ろ初期の1,2作の方が音響的だったが)な構造と曲の配置でプログレッシヴ・ロックの市民権の獲得は大よそ彼等によって為された。次作『炎』からはより壮大な長編作りに彼等は励み、シド・バレットを「既に消えてしまった英雄」に仕立てた。
さて、この死滅遊戯はフロイドの有終の美を飾った『ザ・ウォール』『ファイナル・カット』より更なる続くロジャー・ウォーターズの独白的世界観が嫌というほど綴られている。フロイドよりさらにガチガチに硬化した攻殻機動隊のような世界である。美しくも儚く、一方で力強いロジャー・ウォーターズのヴォイスはドラマそのもので、その圧倒的な言葉数で埋め尽くした詩は小説である。基本的にロジャー・ウォーターズのアルバムはヒッチハイクの賛否両論、RadioKAOSといい、いや寧ろ『狂気』の頃から何ら変わっていない。
年齢とともに己の社会性も後退していき、やはりこういった社会性はモラトリアム特有の為せる業なのであろうか、正直真剣に聞くにはかなり後ろめたさを感じるのは否めない。というより年齢が社会性を後退させるのではなく、現代の『事なかれ主義』の蔓延こそその原因がある気がする。ふと昨今のチベット問題をテレビでぼーっと眺めているとこの死滅遊戯を思い出した次第。