MY NAME IS ALBERT AYLER vol.1

さて、アルバート・アイラーについて知りたければ何の躊躇も妥協もせずに日本ホノグラムより1978年に発売された国内版LP『SPIRITUAL UNITY』の解説を読むがいい。そこに2%ぐらいは書かれている。残りの98%の内、97%はやはり音楽にあり1%は己の心次第。因みにその解説を担当したのは我が敬愛する清水俊彦と間章である。一部抜粋。
『(略)アイラーの音楽は、白人文化の伝統とある種の《野生》、つまり黒人の《熱狂》の忠実な反映であるばかりでなく、何よりもまず、白人文化に対する黒人文化の絶対的な異質性のもっとも忠実な反映として、一挙にみずからを押し通した。彼は《中がどうなっているのか》を知りたがっている子供の、熱狂的でほとんど宗教的な執拗さ(《神秘》への傾斜)をもって、長い間《ジャズの真の歴史》として示されてきた、白人によって考えられたこの結合のすべてを引き離し、解体した。音楽の分野の拮抗する2つの面 −−先に述べたようにひとつは超指示的なもの(きまり文句、マーチ、ファンファーレなど)であり、もうひとつはほとんど非指示的なもの(爆発、渦巻、通常音域を越えた沸騰など) −−の間を絶えずジグザグに進みながら、アイラーは、アフリカの奴隷の最初の世代が置かれていたこの種の文化的空白 --彼らが失った文化体系と、彼らが合流できなかった新しい文化の型との間の空白 --の中で生き、かつ創造したのである。』(清水俊彦)
その『黒人文化の絶対的な異質性の忠実な反映』を表現するにはコルトレーンはあまりにもぶっきらぼうに考え込みすぎたし、オーネット・コールマンは実験的過剰にあり、ドルフィーは進歩的すぎた。
渡欧後、除隊したアイラーはヨーロッパにて吹き込みを行う(因みに軍隊生活中の録音も存在し、2004年狂喜のBOXset(10枚組)に初出)。時は1962年の10月、ストックホルム。この時の録音は後に『THE FIRST RECORDINGS』として発表されたが、当時デヴュー作として発表されたのがこの『My Name Is Albert Ayler』である。

My Name Is Albert Ayler

My Name Is Albert Ayler

デンマーク・デビュー》後にFontanaより再発され現在はfreedom,fantasy(日本盤は徳間)からのCDが流通しているが入手困難な模様。アイラーの音楽解説に見られる語彙の圧倒的パフォーマンス性の無さは今や当然のものとなっているが、それは恐らくあまりにのアイラーの音楽の単純明快/祝祭的な音とは裏腹の奥深さ故であろう。イントロダクションにてアイラーが宣言する『I feel quite free, really free I feel』はコルトレーンの『至上の愛』よりも紳士的で、TGのインダストリアル宣言よりもスピリチュアルに、静寂のうちに宣言される。当時のJAZZ 界隈においてスタンダードはこの頃より廃れつつあった。それを考慮するとこの『MY NAME IS,,,』で聴けるスタンダードは実に貴重である。特にガーシュインの名作である『Summertime』では重くふくよかなアイラーのテナー、ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン(長い!し誰かわからんデンマークのベーシスト)の腰にくるベースの奇跡的邂逅の元(嘗てはART PEPPERがマイ・サマータイム・ランキングを独占していたがその座をアイラーに見事に明け渡した)FREE JAZZの危うさ/スタンダードの呪縛性からの脱却という意思が相まって独特のものとなっている。

※次号、THE FIRST RECORDINGS予定ではありますが、レコード・プレーヤーがぶっ壊れているので問答無用に変更される可能性があります。