悩みはハエのようなもの

夕方、私は千匹のハエを叩き殺した
それだのに、早朝、私は一匹のハエに起こされた


異常なペースでのCD購入はこれまでの人生の中でもおそらくピークを迎えていると思われるが、音楽熱というのがはっきり言って額の髪の毛と比例して幾分か後退してきたような気がする。単なる仕事の疲労だとかストレスとかと違って、ただ漠然とこんなことやってていいのかなといった気持ちが交差して、総体的にみた所謂人生というものに対して疑問しか浮かばない毎日である。誰もがそうだ、と言われるとどうしようもないんだけど。
暗くジメジメとした鬱々話を延々とこんなとこで書くのは元々大嫌いなのだが、こんな生活を送っているとこれからの自分の姿を否が応にも想像しないわけにはいかなくなった。何年後の自分なのかは知らないけどただ漠然とその姿を想像してみると、しばらく口も聞けなくなるほど(幸いなことに時は3連休の真っ只中で口をきく相手もいない)唖然とするのだった。
学生の頃、これから私はどうするんだろう、と言った悩みをただ際限なく脳裏に浮かべ、絶望的になってはいたが、実はそういうのは悩みに値せず、本当の恐怖はくだらないことを繰り返す毎日にあるということだと思われる。これからどうするのか、という不安には若干の猶予がある。
たとえば、自分の与えられた仕事を無事にこなしていって満足感のようなものを覚えたら人生はおしまいである、と常々思う。恋をして、一生この人といたいというような考えをするような奴が大嫌いだ。自分はもっと恋をする、と思いたい。
つまりは、何年か後の話が嫌いだ。
貴族やら華族やら奴隷の制度がある時代に生まれたかったと思う。貴族だったなら、時間を思うままに使う。奴隷だったら、リセットボタンを押すように自殺する。そして次にかける。人生なんてこんなもんでいいと思う。働かずに済むだけのお金があれば、働く必要なんて絶対に無い。


こんなことを延々と考える3連休で、すでにその半分を無駄に過ごし、ビールを飲む。そろそろいろんな意味で、潮時だと思う。